東京通信

さいはて

 人間には、「さいはて」志向とでもいうべきものがあるようだ。北と南の辺境に作家や画家が行き、観光その他で人々が追いかける。
 明治時代、作家がこぞって北海道を目指した。フロンティアの自由な気分、あるいは憧れに近い感覚が北の大地にはあったのだろうか。国木田独歩が東京郊外の里山の風景を書いた「武蔵野」は明治31年の作であるが、その3年前に北海道に行き原生林の中を歩いている。石川啄木は、明治40年の1年間に、函館、小樽、札幌、釧路と転々とした。そのとき、各地でつくった歌がたくさん残っている。札幌の大通公園には石川啄木の歌碑・像がある。
 南方への、異国情緒、あるいはふる里回帰願望とでもいうのか、南島志向も根強いものがある。林芙実子の『浮雲』は屋久島が舞台である。「屋久島ではひと月に35日雨が降る」という一節はあまりにも有名だ。昭和18年、作家の島尾敏雄は特攻隊長として加計呂麻島にいた。そして終戦後も奄美に長く住んだ。日本画家の田中一村は昭和33年に奄美大島に渡り、無名の大島紬の染色工として孤独に死んだ。昭和52年のことだった
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「しんとして 幅廣き街の 秋の夜の 
 玉蜀黍(とうもろこし)の焼くるにほひよ」

      札幌大通公園、石川啄木像

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田中一村、大島紬染色工時代